スポナビ 武藤敬司25周年記念 インタビュー

武藤敬司25周年記念 特別インタビュー第1弾
プロレスラーになったきっかけ~WCW遠征時代まで

武藤敬司25周年記念 特別インタビュー第2弾
闘魂三銃士~UWFインターとの対抗戦

武藤敬司25周年記念 特別インタビュー最終回
全日本プロレス電撃入団~三沢さんへの思い

武藤敬司がデビュー前から現在までのことを話してます。

自分が武藤敬司を見始めたのは1994年頃かな、友達に見せてもらったグレート・ムタ vs ザ・グレート・カブキの試合からでした。そっからムタにハマり、ヒールになったばかりの蝶野戦とかエル・ヒガンテ戦とかをよく覚えてます。

そしてインタビュー内でも言われてるけど、素顔の武藤敬司の転機になったのが1995年。たしかムタでない素顔でIWGPやG1に届かず悩んで、スコット・ノートンに敗れて欠場、山のお寺にこもっている武藤敬司。5月には福岡ドームでIWGP挑戦が決まってたので、「大丈夫なんか武藤?」っていう状態。

なんとか福岡の前に戻ってきて復帰戦が決まったんやけど、そこに海外から帰ってきた天山広吉が立ちはだかった。ひげもじゃの悩める武藤が試合開始直後からハイスパートに攻めるものの、最後は逆転で負けてしまう。でも、終わった後の晴れやかな顔で悩みをふっきったということを表現する。

ほんで福岡ドームでは見事に橋本真也を破って武藤敬司として初めてIWGPを獲る。「武藤敬司は驀進します!」で、そこからほんまに驀進。防衛戦で天山を倒して、夏のG1も初制覇。

完璧な新日本のエース、理想的なエース武藤敬司ができあがっていって、最高のタイミングでUWFインターとの対抗戦、高田延彦戦。あの時の盛り上がりたるや、すごかったなあ。1995年10月9日、東京ドーム6万7000人やったかな。あれは事前の盛り上がりも試合も決まり方も、かなり思い出に残る興行やったと思う。

 

そんななんやかんやを語ってくれてるし、さらには格闘技路線になっていく新日本に反発して、ムタで再びアメリカに乗り込む時の話。その時は本気でWWE行きを考えてたとか。2000年頃やから、ロックやオースチン、テイカーらがバンバン活躍してる時やなあ。レッスルマニアに上がるムタ・・・見たかったなあ。

 

改めてすごい人やなーと思ったインタビューでした。

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