“Latino Heat” Eddie Guerrero #ThankYouEddie

エディ・ゲレロが亡くなって10年、ひとりのファンとして見ていたエディを思い返します。

詳しい生い立ちはwikipediaを。

エディを知った頃
90年代初め~半ばぐらいかな?新日本プロレスでマスクマンのブラックタイガーとして活躍。自分が知ったのはこの頃。この時の必殺技ブラックターガーボムはよくプールでマネしました。親友であるクリス・ベノワやディーン・マレンコも出てました。新日を離れてからは雑誌でたまに見かける程度ですがアメリカのECW、WCWに参戦。そしてWWEへ。2002年頃からJスポーツで見るWWEでまたエディを見るようになります。
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エディの技
最終的に必殺技になった「フロッグスプラッシュ」は、若手時代に亡くなったパートナーであり親友のアート・バーという選手の技らしいです。
ブレーンバスターを3連発する「スリーアミーゴス」は、「エディ、ベノワ、マレンコ」の親友3人を意味するそうです。

スタイル確立まで
エディの正統で綺麗な試合はどこにいっても求められ認められていたと思います。ただあくまで小さめの体でトップの位置にも行けずヒール寄りで中堅を抜けれないキャリア。体には大きな負担がかかり、睡眠薬や鎮痛剤の過剰摂取を続け交通事故を起こしたりするように。かなり体はボロボロだったのかもしれません。一度WWEを解雇され、回復して復帰。
それから甥のチャボ・ゲレロとの「ロス・ゲレロズ」結成、「Lie Cheat Steal(ズルして、ダマして、盗み取れ)」というキャッチフレーズでコミカル寄りで親しみやすいキャラになってから徐々に人気が高まります。嘘ついてだまして奪って・・をコミカルに描いたコント風の映像もよく流れて、入場テーマも「ビバララッサ~」で始まる陽気なものに。

自分のプロレス熱を呼び覚ましてくれたエディ
2003年、チャボが怪我で離脱し替わりにタジリと組みタッグ王座を奪います。この頃から車のローライダーに乗って入場するように。この頃自分は日本のプロレスが低迷してたこともありプロレス熱が冷めてあんまり見てなくて、WWEだけなんとなく見てました。

そしてある日このエディ&タジリのタッグ王者がチャーリー・ハース&シェルトン・ベンジャミンとの防衛戦。


終盤、タジリがフォールされてカウントとってるレフェリーのケツをエディがイスで一撃!
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すぐさま相手のハースにイスを投げ渡す。ポカンとしながら受け取ってしまうハース。
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ケツを押さえながら振り返るレフェリー。エディがハースを指さす。
 ↓
イスを持つのはハース。レフェリーが怒りながらハースの反則負けを宣言!

この決着は、エディの「ズルしていただき」を確立させた瞬間で会場は大いに沸き、自分もめちゃめちゃ笑い感動しました。こんなんアリなん!?こんなんできるのプロレスだけや!!と。改めてプロレスの奥深さと懐の深さとエンターテイメント性を再確認して小学生以来の情熱を呼び覚まされたような気がしました。
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トップレスラーへ
ロスゲレロズやタジリとのタッグでスタイルを確立したエディは会場人気が異様に上がっていき、いわゆるWWEの最高峰を争うトップ選手並の人気を得ます。しかし当時はブロック・レスナーやカート・アングル、アンダーテイカー、HHH、ショーン・マイケルズなどヘビー級のシングルプレイヤーがトップを争っている頃。いくら人気が出ようともそこへエディが入り込むなど想像もしてなかったところへ挑戦者決定戦バトルロイヤルで優勝、最強王者レスナーへの挑戦が決定。特番のメインで見事フォールを奪って、WWE史上最少の体格でチャンピオンになります。デビューから17年、団体を渡り歩き問題を繰り返し紆余曲折ありながらもトップスターになれなかったエディが決めた一世一代のフロッグスプラッシュは今でも名シーンとして紹介されます。

悩んだ末ヒール転向
プロレスでは実力だけじゃなく、人気と試合内容はもちろん常に注目を集めストーリーを盛り上げ転がし惹きつけ続けることができる、と認められてやっとチャンピオンになるストーリーが組まれるということなので、そのプレッシャーはすごいものです。
エディがトップに立ったそのタイミングで他のトップ選手のWWE離脱が相次いで、メインで出続けるエディが数か月でみるみる顔色が悪く見えてきてJBLとの抗争で王座陥落。裏でもほんまに調子悪くなって一旦王座から降ろすことになったそうです。そのポジションに精神がついていかなかったのか、それからしばらく模索して2005年入って前までの陽気なキャラが薄れていき、同じメキシコ出身で長い付き合いのレイ・ミステリオを裏切る形でヒール転向。入場テーマも変わりローライダーもやめてシリアスなヒールに。見てる側は「エディはこんなんじゃない!」と思いながら仕方なくブーイングしてるかのような。そして裏では王者バティスタの怪我があって休ませようかという時にエディがまた王者として穴を埋めたいと言い、エディに王座が移る流れに向かうストーリーが組まれたとか。

最後のストーリー
特番でエディがバティスタに挑戦するも敗れる。そして戦った後から友情が芽生え、エディを立ち直らせようとするバティスタ。徐々に心を開き始めるエディ。今思うとおそらくこのまま一旦仲間になるもののなんらかエディが裏切って王座奪取・・って流れだったんではないでしょうか。想像ですけど。

急死
2005年11月13日早朝、遠征先のミネアポリスのホテルで死去。38歳没。死因は動脈硬化性疾患。過去の薬物の影響かと言われてました。このニュースをネットで見た時は衝撃でした。マジの話なんや・・・って。そしてそのすぐ後の2番組は追悼大会として開催。日本のJスポーツでは字幕入れの関係もあり普段は2週間遅れで放送されていたんですが、この追悼大会は翌日ぐらいに放送されました。この時は抗争していたミステリオ、タッグ離れたチャボ、過去いろいろ戦ってきた大勢のスーパースター達もスタッフも観客も泣きながら、会長ビンス・マクマホンの挨拶で開幕。エディとの関係を思い出させる試合が数々組まれました。
入場口に置かれたローライダーにバティスタが自分のベルトを乗せ、そこでエディが見てるかのように試合が進みます。エディとの大流血戦をした超悪党JBLが涙をこらえながらチャボと戦い、ヒールのHHHが天を指さし「エディに聞こえるようもっと叫べ」という感じで観客を煽り親友ベノワと戦い、WWEが大舞台まで温めてると言われていたジョン・シナvsランディ・オートンという当時の黄金カードをここで実現。ほんま号泣しながら見てました。字幕つきのオープニングだけアップしてくれてる人がいました。

遅れて見たラスト2週
エディの追悼大会を見たものの、通常放送は現地の2週遅れ。バティスタとのストーリーが普通に続いてるのが流れます。番組冒頭では「エディ・ゲレロ選手は11月13日に亡くなりました。ご冥福をお祈りします」のメッセージ。悲しいながら元気なエディを見届けることになります。
するとその回の話が、立ち直りかけてるヒールのエディにバティスタがバックステージでサプライズプレゼント!なんとローライダー!喜ぶエディ!そしてその時の入場では久しぶり会場に「ビバララッサ!」で始まる昔の入場テーマ!ノリノリで入ってくるローライダー!昔の陽気で親しまれた明るい”ラティーノ・ヒート”が帰って来た!と思うシーンのはずが、すでにこの世にいないことを知ってから見てるので、それはまるで天国に行ったエディのように見えました。今すべての重圧から解放されて、こうして楽しくやってるんかなと。その時の動画もありました。

ラストマッチ
ミスター・ケネディとのシングル戦が結果的にラストマッチになりました。ここでも久しぶりレフェリーを騙して反則勝ちの「ズルしていただき」で勝利。騙しに入る瞬間の笑顔がたまりません。これが最後に見た笑顔ですね。

それから次のレッスルマニアでミステリオがタイトル奪取するぐらいまでは追悼ムードが漂ってました。その頃あった日本大会でも全員エディコールの大合唱。見に行った時のミステリオの写真も残ってました。
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プロレスという世界で天才と言われながら苦労して悩んで成功して親しまれて、こんな惹きつけられるレスラーはなかなかいません。今なお語り継がれるレジェンドで、個人的にお礼言いたい人。あれから10年たちました。今では薬物や事故防止に一層力を入れ若手育成や社会貢献ますます成長し大規模になっているWWEの功労者の一人。

今でも言いたい「Thank you Eddie!!」