今年いよいよ引退を発表したミルコ・クロコップについて記憶に残る10試合を。
K-1 GRAND PRIX ’99 開幕戦(1999)
vs Mike Bernardo
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96年にミルコ・タイガーの名でK-1初登場、ジェロム・レ・バンナに判定勝ちしていわゆる「魔物デビュー」で注目を浴びたミルコですがホーストにローキックでボコボコにされて負け、以来かなり空きました。それから99年予選に久々参戦するもジャビット・バイラミに負けて・・・他選手の欠場でたまたま開幕戦出場。あまり注目されないまま臨んだマイク・ベルナルド戦が、その後も長年語り継がれる伝家の宝刀・左ハイキックで衝撃を起こした最初の試合。様子見で進む1R、静かな空気をいきなり切り裂いたハイキックで優勝候補の1人ベルナルドは明らかに効いてるダウン。当時の実況解説陣は大騒ぎで信じられないような光景。ミルコは2回目の「魔物」としてグランプリ決勝へ。
K-1 GRAND PRIX ’99 決勝戦(1999)
vs Ernesto Hoost
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ベルナルドに続いて開幕戦で武蔵、サム・グレコを倒して決勝戦まで上がったミルコが96年以来アーネスト・ホーストと対戦。武蔵戦でかなりボディブローやヒザを受けてたのが残ってたのか、ダメージありそうな雰囲気で始まるも最初は進化したパワーで押していく。ただコンビネーションのパターン少なくホーストには当てれず・・・得意の左ボディを受けて力尽きました。結局96,99,翌年2000も含めてK-1グランプリ全部をホーストに止められることに。ミルコが最後まで越えられなかった壁がホーストでした。ミルコはスピードもパワーもあるが、こういう技術の高い相手には勝てないイメージがK-1ではありました。
K-1 ANDY MEMORIAL 2001(2001)
vs Kazuyuki Fujita
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K-1で勝ったり負けたりでトップ戦線に行けないまま迎えた2001年グランプリ予選でマイケル・マクドナルドにまさかのKO負け。ただその結果試合予定もないということで当時急に盛り上がってきたK-1 vs 猪木軍の対抗戦に出場することに。グランプリ決勝まで行った実績あるミルコ級のK-1ファイターの総合ルール挑戦は注目を浴びました。でもクリンチもうまく使うしメンタル面が強いとも言えないミルコはあんまり向いてないように見え、完全に相手の藤田和之圧勝という予想が大半でした。「経験も準備期間もないので、寝技の練習やタックルを切る練習よりも、その瞬間にすべてを賭けるしかなかった」ということで練習してきた、タックルに合わせるヒザ蹴り。藤田のタックルを何度か見て、完全に狙いすました強烈なヒザを合わせ藤田のこめかみは深く切れて中が見えるほどに。大流血させて本当にその一撃でこの大一番を乗り越えました。リングサイドにはジェロム・レ・バンナとマイク・ベルナルドがいて、勝利の瞬間大喜びでリングに上がりミルコを祝福。K-1が総合と向き合った対抗戦ムードをさらに印象つけたシーンでした。
PRIDE.20(2002)
vs Wanderlei Silva
UFC Fight Pass
藤田戦からPRIDEで高田延彦、猪木祭りで永田裕志と試合して、そして組まれたPRIDEミドル級最強王者ヴァンダレイ・シウバ戦。初めて戦う生粋のMMAファイター。シウバの方も日本人選手との試合が続いてたのでこの顔合わせは意外でかなり楽しみでした。キャッチウェイト3分5Rの変則的なMMAルール。PRIDEとK-1の看板を背負った戦いの緊張感がものすごく、大会オープニングにリング上で向かい合った両者は今にも戦い出しそうな雰囲気が強烈。そして当時完全にヒール扱いだったシウバをこのPRIDEの舞台でvs K-1に持ってきたことでシウバに大歓声、今まで通りゴング前にシウバが睨み圧倒するのだろうと思ったら・・・!ミルコの気合いすさまじく史上最高の緊張が走る睨み合いに。会場ボルテージはMAX。ミルコの弱点である寝技にシウバが持ち込むのか?それまでにミルコが終わらせるのか?まずシウバが見せた攻撃は・・・胴タックルで倒してからなんと踏みつけ。そのままチョークか関節をじっくり狙う方がたぶん勝つ可能性高かったやろうに、いつも通り踏みつけにいったシウバに「これがPRIDE」を感じて、立ち上がり強烈なミドルキックを当てていくミルコに「これがK-1」を感じました。シウバはこのミルコのキックを受けて「絶対に顔にもらったらヤバイ」と感じてミドルをいくら受けてもガードを下げなかったようで、後にミルコ戦が決まったノゲイラにもそうアドバイスしたとか。引き分けに終わりましたがこれ以上ない緊張感を生み出した名試合でした。
PRIDE.26(2003)
vs Heath Herring
UFC Fight Pass
対抗戦も落ち着いて、負傷もあってK-1グランプリを欠場したミルコが選んだ道はPRIDEへの本格参戦。PRIDEのヘビー級通常ルールで、しかも相手はトップ3の位置にいるヒース・ヒーリング。この発表はなかなか仰天でした。格闘技界のヘビー級では当時K-1が一番ポテンシャルの高い選手が揃っていたと思います。あのキックがMMAで放たれたらどうなるのか。K-1とPRIDE両方のタイトルを獲ると宣言しやってきたミルコ。そして受けたヒーリングも煽りのインタビューで開口一番「K-1獲ってから言え」最高に盛り上がりました。K-1獲ってないけど期待できたのは、K-1で当時勢いあったマーク・ハントやボブ・サップとの試合もきっちり勝ってたことも大きいかと。この試合でもミルコは今まで以上にタックルへの対策できててヒーリングの組みをことごとく捌き、シウバ戦以上に体重の乗ったミドルを打っていきました。ヒーリングの勢いと極めの強さあれば突破できると思ってたんですが、ミルコの強烈なミドルで悶絶、ものすごい振り降ろすパウンドで圧倒的なKO。MMAにアジャストした新しいミルコはPRIDEの中心に一気に躍り出て、早くもヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードル戦が期待され始めます。
PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦(2004)
vs Kevin Randleman
UFC Fight Pass
PRIDE本格参戦から順当に勝ち続けていたのをアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに激闘の末ストップされたミルコは、再度トップを目指し経験を積むため短い期間でロン・ウォーターマン、山本宜久をKO。そして始まったPRIDEヘビー級GPの1回戦で組まれたのがこのケビン・ランデルマン戦。ほとんど同じ戦法で戦うウォーターマンKOしているのもあってこの試合もミルコ順当に勝利の予想。しかしランデルマンはミルコの研究をかなりしており、ミルコがキックを出す前ガードが下がるところを唯一の打撃武器である左フックで狙う、それに賭けて臨んできて、見事にハマりました。強烈な左フックで倒れたミルコにパウンドを続けてまさかのKO。「俺も皆と同じ人間。この試合が怖かった」とマイクで話すランデルマンに感動でした。2001年のマイケル・マクドナルドに負けた時のような負け方で、なんか金髪の黒人に弱いのかなとか思ってました。ここでもK-1の時みたいに、トップになかなかたどり着けないミルコの運命を感じた試合。
PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦(2005)
vs Fedor Emelianenko
UFC Fight Pass
ヘビー級グランプリで負け、そこからワンマッチで勝ち続けてヒョードル弟のエメリヤーエンコ・アレキサンダーを左ハイキックでKO、さらに勝ってやっとで実現したヒョードル戦。PRIDEヘビー級タイトルマッチ。当時間違いなく世界最強の座。この2年越しのビッグマッチは最高の盛り上がりで、佐藤大輔・立木文彦の渾身の煽りVTRを期待したがなんと立木ナレーションをなくし説明の少ない、でも見て来たファンには心に響く今でも覚えてる名VTR。試合ではヒョードルが今までのミルコの相手と違い常に前進、パンチを出してプレッシャーをかけつつもミルコのキックを腕と脚できっちりガード、入念な準備をしてきたようです。ピリピリした攻防の中下がりつつカウンターで打ったミルコの左ストレートでヒョードルがぐらつき大歓声。そこから左ハイを狙うもガードされ組まれ足がすべって倒され…ミルコの時間は終わってしまいました。1Rそこから防戦一方になったミルコは2R以降スタンドでも押され効かされ判定で敗北。期待された王者交代はならず、ヒョードルのキャリアをさらに高める結果に。
PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦(2006)
vs Josh Barnett
UFC Fight Pass
ヒョードル戦以降調子の良くなさそうな試合が続き、PRIDE無差別級グランプリ開催が決まって1回戦の相手が2階級下の美濃輪育久になった時は「俺はここまで主催者に勝ち上がる信用がないのか」と凹んだそう。奮起したのか、ミルコは美濃輪戦、吉田秀彦戦、ヴァンダレイとの再戦全てKOで決勝まで勝ち上がり、ジョシュ・バーネットと対峙。ヘビー級トップと連戦してきたジョシュに対して階級下との試合が続いたミルコへのプロテクト感はありましたが、ここでジョシュにボディブローを効かせてパウンドで目を傷めたジョシュがタップアウト。なんとかかんとかやっとミルコがグランプリ優勝。怪我で欠場していたヒョードルに並ぶ世界最強に近い地位までたどり着きました。ミルコのMMA転向がひとつの大きな結果を残した日に。そしてこの後UFCへ・・・
K-1 WORLD GP FINAL in ZAGREB(2013)
vs Ismael Londt
SPRINGBOARD VIDEO
UFCに鳴り物入りで参戦したものの2戦目でKO負け、そこからトップにも行けず勝ったり負けたりを繰り返し明らかな衰えと限界を感じました。PRIDE燃え尽き症候群とも言われました。UFCで結果を出せず辞めたミルコは日本で試合をしつつ原点でもあるキックボクシングに戻ります。しかし自分を育てたK-1はなくなり別のオーナーがK-1の名のもとヨーロッパを中心に興行を続けていました。GLORYに有名選手を持っていかれていたのもありK-1はすでに立ち技世界最強の場ではなくなっていましたが、2012年にグランプリ復活。翌年決勝大会でミルコは優勝。全盛期とはいえないし、メンバーも世界最高峰とはいえないが、遂に10年前に宣言した「K-1とPRIDE両方の王者になる」ことを実現させました。限界限界と言われKO負けしながら続けて結果を出す、ボロボロのミルコは引退の場を探しているかのようでした。
UFC Fight Night: Gonzaga vs. Cro Cop 2(2015)
vs Gabriel Gonzaga
UFC Fight Pass
日本のIGFでMMAの試合を続けていたミルコに再度UFCからのオファーが。その相手はなんと8年前にハイキックでKO負けを喫した相手ガブリエル・ゴンザガ。ミルコが負け始めるきっかけになった相手ともいえるゴンザガとの再戦。ゴンザガの方も衰えてはいましたが、組んで近い距離での左エルボーがヒット。効かせて倒してグラウンドでさらにエルボーからパウンドで見事KOでリベンジを果たしました。この次戦を間際にして肩の怪我治療のために打った成長ホルモンでドーピング検査に引っかかり問題となって、引退を表明。結果的にこのゴンザガ戦がラストマッチとなりました。
デビューからずっとギラギラした眼光で相手を殺す勢いで攻め立てる迫力が魅力でしたが、キャリア後期はいかにも疲れた雰囲気があったので最後にUFCで勝利を飾れたのはよかったかと。「ターミネーター」という異名がありながら油断して負けたり泣いたりと人間らしい部分も多く、ずっと見てたら本当に山あり谷あり、激勝あり惨敗あり、ドラマティックな格闘家。特に日本の格闘技ブーム期に本物の緊張感と破壊力を見せて全体のレベルを上げた功労者でした。ドーピングに関して本当のことはわかりませんが、長年楽しませてもらったミルコ”クロコップ”フィリポビッチは紛れもなく格闘技の歴史に残るレジェンドです。