桜庭和志 vs ホイス・グレイシーから10年

さっき青木真也が負けてしまったこともあって悲しいですが、いい画質でyoutubeにupしてくれてる人がいたので、感謝しながら載せます。「日本人 vs グレイシー」という夢いっぱい幻想いっぱいだった懐かしい時代の名勝負、壮大なストーリーの最終章になった試合です。


UFC Fight Pass Kazushi Sakuraba vs. Royce Gracie PRIDE: GP 2000 Finals

1930年頃

日本の柔術家コンデ・コマこと前田光世がブラジルで柔術を広める。その弟子がカーロス・グレイシー、直接指導してはないらしいけどエリオ・グレイシー。そのエリオが「グレイシー柔術」を立ち上げる。

1951年10月23日

グレイシー柔術でいろんなジャンルの格闘家と戦って勝ち続けていたエリオが、日本から来た柔道家の木村政彦と対戦。大外刈りで倒され関節技の腕がらみでタオル投入TKO負け。グレイシー柔術としての初黒星。この試合がきっかけで、腕がらみが「キムラ・ロック」と呼ばれるようになる。

ヒクソン、ホイラー、ホイス誕生

エリオは引退後も息子たちに柔術を教える。その中で特にこの3人が頭角を現す。3人もエリオと同じようにブラジル各地の道場破りをしてグレイシーの強さを広める。ルールほぼ無しのバーリ・トゥードで試合を繰り返す。

1993年UFC開催

アメリカに渡って、八角形の金網(オクタゴン)の中でジャンル問わず同じルールで対戦するアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップを開催。それまでになかった異種格闘技大会で、アメリカや日本で話題になる。パトリック・スミスやケン・シャムロックが参戦。日本のパンクラスで有名だったシャムロックの参戦で日本でもかなり盛り上がる。しかし誰も知らなかったホイス・グレイシーが圧倒的に優勝。誰も想像してなかった技術体系でシャムロックにも圧勝。

日本のプロレスラーが挑戦

異種格闘技戦と銘打った試合をそれまでやってきた日本のプロレスラーがバーリトゥードでも強いのか?という大きなテーマができる。ホイスの兄ヒクソンやホイラーが日本で試合をし始め、若手レスラーが次々挑戦するも負け続ける。

プロレスの衰退

真剣勝負をうたってきた日本の異種格闘技戦やU系選手が負け続けることから日本のプロレス熱が冷め始める。そんな中立ち上がったトップ中のトップ高田延彦がヒクソンに完敗。PRIDEが始まる。

救世主・桜庭和志

トップ高田が負けたことから、日本のプロレスは完全に負けたという空気になった頃、UFC-Japanのトーナメントで高田の弟子桜庭和志が日本人初の優勝。オクタゴンの中で「プロレスラーは本当は強いんです」とマイクアピール。

桜庭時代到来

PRIDE.2から桜庭が出場、強豪相手に名勝負連発、連勝する。1998~99年にわたって引き分け挟む5連勝。日本のエースになる。そしていよいよ打倒グレイシーの期待がかかる。

桜庭とグレイシー初遭遇

UFC開催から1999年までの6年間、変わらず無敗だったヒクソン、ホイス、ホイラーの中からホイラーが名乗りを上げて桜庭と対戦。桜庭がホイラーの腕を極めた腕がらみ(キムラ・ロック)でレフェリーストップ勝ち。木村政彦以来48年ぶりにグレイシーが敗北する。レフェリーストップで決まったためにグレイシー一族が猛抗議、桜庭含む日本 vs グレイシーの抗争が一気に盛り上がる。

ホイス参戦

グレイシーブームの火付け役ホイスがPRIDE参戦。初戦で高田延彦を破り、桜庭和志との試合が決定。しかし前のホイラー戦問題もあってホイス側がルール変更を要求、レフェリーストップ無し、判定無しの完全決着ルールでないと出場しないと言い出す。交渉難航の末、1日トーナメントであったことから、ホイスの試合のみ1R15分無制限ラウンドの特別ルールが採用されることになる。

2000.5.1 東京ドーム PRIDE GRAND PRIX 2000 決勝戦

ホイス側の要求により桜庭も怒り、ファンも「桜庭よ、日本の誇りをかけてグレイシーを倒してくれ!」っていう熱が最高潮に達した中で大会がスタート。終了時間が全く予想がつかない中でついに試合が始まる。当時86歳のエリオ・グレイシーや長男ホリオンがホイスのセコンドに、桜庭のセコンドには高田がつく。

この一連を見てて

自分は小学生の1994年頃からプロレスを見始めて、UFCというのは後で雑誌で知って、中学二年の時にTSUTAYAでビデオを借りて見ました。そこではホイスが相手をマウントから素手で殴りチョークスリーパーで絞め落とすという、プロレスでは考えられない世界に衝撃を受けました。そして1995年、新日本プロレスとUWFインターナショナルの抗争で高田延彦ファンになり、その高田がヒクソンに挑戦した1997年、自分が幼いながらも抱いてたプロレス最強幻想はあっさり砕かれました。

いまいち乗れなかった「アンチ・グレイシー」

桜庭がホイラーに勝利したというのをスポーツ新聞で知った時は喜びました。それまでの桜庭の試合はおもしろく救世主として見てたからです。それもキムラ・ロックで勝ったというのがすごいストーリーの結末でプロレス的だとも感じました。しかしそこからホイスとの試合に関するゴタゴタでファンは「自分に有利なルールにしようとする汚いグレイシー」という言い方が多数でした。けど、「判定無し」「レフェリーストップ無し」「ラウンド無制限」これがホイスに有利というより、より真剣勝負に近い、どっちが強いかハッキリするものだと思ったので、「ホイスは本当に決闘がしたいんやなあ」と思い、周りの異様なグレイシー嫌いにちょっと引きました。インタビューでホイスが「我々は日本のコンデ・コマから教わった柔術をさらに強くしてこうやって日本に戻って来たのに、なぜ日本人に嫌われなくてはならないのか」という発言に同情しました。救世主桜庭に期待する思いと、グレイシー側の思いの両方を感じて複雑な気持ちで桜庭 vs ホイスを見ることになりました。

試合

結果的に15分6ラウンドの計90分の死闘の末、ホイス側にタオルが投げ込まれて桜庭がTKO勝ち。時間を延ばしたりせず攻め続けるホイス、かわす桜庭、効いてくるローキック、だんだん手がなくなってくるホイス、焦るエリオとホリオン、笑う桜庭・・・。名シーンの連発で会場は沸きに沸いて、93年以降日本プロレスファンが夢見てきた、日本のプロレスラーがホイスに勝つ瞬間が近づいてると感じた会場はホイスやホリオンの一挙一動に注目。7Rが始まろうかという時についにホリオンがタオルを投げました。コーナーに座るホイス、セコンドのグレイシー達、ホリオンがタオルを投げたこのシーンは絵的にも記憶に残る名シーンになりました。

和解

足を引きずりながらホイスが桜庭に握手を求めて、何か話してます。揉めたホイラー戦と違い潔いさわやかな終わり方。そして桜庭がリング下にいるエリオに向かって歩き出すとエリオも歩み寄って、桜庭とエリオが握手、エリオが笑いました。もう、このシーンを撮ったカメラマンは素晴らしい。実況フジテレビの三宅アナの「エリオが笑った!エリオが認めた!グレイシーが今、桜庭和志を認めました!」という感じで言ってたのが耳に残ってます。格闘技を見てこんなに感動したのは初めてでした。

もう見れない名勝負・名ストーリー

日本の、真剣勝負でありプロレスであるという独特な空気と、本当の真剣勝負である総合格闘技の要素が両方まじりあった特殊な時代だからこそ生まれた、今ではありえない特別ルール、抗争。今ではこんな試合受ける選手もいないだろうし開催されないと思います。

ルール整備も見方もすべてが未完成、発展中の時代だからこその良さというのもあるんやなあ~と、久々に見入ってしまったこの試合で感じました。

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