今年引退を発表したピーター・アーツの心に残る10試合を思い出してみました。
THE NIGHT OF THE SHOCK(1993)
vs Maurice Smith
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ピーター・アーツの出世試合は92年のモーリス・スミスからの判定勝利。それまで8年間無敗でキックボクシングの顔だったモーリスを止めて、翌年再戦。21歳のアーツは細くモーリスの方がパワーで押してる感がありますが試合が進むにつれてアーツが支配していきハイキックで完全KO。この時からすでに右ストレートと右ハイキックという得意技が確立してますね。時代を引っ張って来た人が負けた時はラッキーだとか運だとかいろいろ理由を考えてしまいますが、だいたい再戦でも負けて時代の変化を実感します。この時もそうだったんでしょうか。
K-1 GRAND PRIX’95 準決勝(1995)
vs Ernesto Hoost
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アーツがデビューしてすぐ負けた相手であり、優勝候補として挑んだ93年の第1回K-1グランプリで判定負けを喫し優勝を持っていかれた相手である生涯のライバルともいえるアーネスト・ホーストに初めて勝った試合。逆の山ではジェロム・レ・バンナとマイク・ベルナルドが新鋭対決。いい流れできてたんですね。当時のK-1で一番完成されたキックボクサーといえる2人の対決はどちらも技術も気合いも存分に出し合う好勝負になりました。この頃この2人にハイキックを当てられる人なんてこの2人しかいなかったんじゃないかと。若干パワーに勝るアーツに対して最後ちょっと疲れたっぽいホーストの接戦、自分の中ではK-1の中でも最高に近い名勝負です。この後バンナを倒したアーツがグランプリ2連覇を果たします。
K-1 GRAND PRIX’96 準々決勝(1996)
vs Mike Bernardo
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2つのグランプリ優勝を入れた14連勝という黄金時代を築いていたアーツ。その中の1人でKO負けで雪辱を狙うマイク・ベルナルドが96年グランプリ準々決勝で激突。この時のDVDでは会場のお客さんにインタビューで優勝候補を聞いてるんですがほとんどがアーツ、アーツ、アーツ。それぐらい負けが浮かばない最強の象徴でしたが、試合は気合い入りまくりのベルナルドがパワー全開のフックを振り回しダウンを取り会場が大騒ぎになります。アーツがK-1に来て初めてのダウン。疲れが見えるアーツがペースを掴もうと先手で打っていくもベルナルドは冷静に見て力強いフックを右、左と振り抜き吹っ飛ぶようなダウンからカウントアウトで、アーツの黄金時代を終わらせました。96年はアンディ・フグが決勝で過去2回負けているベルナルドに雪辱を果たし初優勝という、大きなドラマが2つあった盛り上がった大会でした。自分がリアルタイムで見始めたのはこの後ぐらいからです。
K-1 DREAM’98(1998)
vs Francisco Filho
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97年フランシスコ・フィリォから盛り上がっていた極真会館勢の参戦。この時K-1 DREAMと称して「空手vsキック」をテーマに7対7対抗戦が組まれました。この頃は常に本屋に並ぶ雑誌「格闘技通信」や「ゴング格闘技」で情報を見ていて、近所の本屋で格闘技通信を開いたら「アーツvsフィリォ決定」の記事に全身が震えたのを今でもよく覚えてます。この時フィリォは初参戦からアンディ・フグやサム・グレコをKOし、ホーストに判定負け、レイ・セフォーと引き分けに終わるも常に緊張感あり攻撃を受けない、倒れない、そして一撃を持ってるというイメージでした。生涯ダウン経験無しとも言われてました。そのフィリォの前に立ったアーツはテンションMAX!倒す気満々!そしてゴングからいきなりのローキック!フィリォはガードしたものの、アーツの先制で大歓声に始まった試合は狙うアーツと捌くフィリォの緊張感ある攻防が続きました。そして1R終盤にアーツが必殺右ストレート!読んでいたのか横にかわしたフィリォに返しの左!のけぞったフィリォが人生初のダウン!立ち上がるもラウンド終了。ものすごい盛り上がりのまま2Rに向かうはずが・・・最初のローキックでアーツが脛を大きく深く骨が見える程カットしていたようでドクターストップ。フィリォ最大のピンチはまさかの決着で終えました。格闘技通信の記事トップにあった「開始1秒、勝負は既に決していた」の文字が印象深いです。
K-1 GRAND PRIX’98 決勝(1998)
vs Andy Hug
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94~95年の黄金時代以降は勝ったり負けたりが続いていたアーツがそういえば安定してきたなという雰囲気あった98年のグランプリ開幕。この日準々決勝で佐竹雅昭を、準決勝でマイク・ベルナルドを1RKOに下す好調さを見せたアーツは神がかった強さ。一番調子のいい時の顔を保ったまま決勝。サム・グレコとの激戦を制して勝ち上がってきたアンディ・フグを左のハイキックで東京ドームに「パシーン!」という音を響かせ倒し圧倒的な3度目の優勝。3試合において危ない場面を1度も見せることなく、遂に2回目の黄金時代へ。この頃の関係者の誰かの話で「昔のアーツは練習が終わると朝まで酒を飲んで遊び、2日酔いのまま試合に出てもKO勝ちしていた。ベルナルドに負けてからはちゃんと寝て体調管理をしっかりするようにしたんだ」みたいなことが書かれていて、生活ちゃんとしただけでこんなに変わったんなら本当にこの人は次元が違うんや・・!と驚きました。97年頃に若い時から所属してたドージョー・チャクリキを離脱してるみたいなのでそのへんからかな?アーツの入場曲パルプフィクションやグランプリ決勝だけ登場するマイケル・バッファーのリングアナという定番が始まったのもたぶんこのへんから。メジャーイベントへと進化するK-1でもきっちり主役の座を奪ったアーツは間違いなくスターでした。
K-1 GRAND PRIX’99 準々決勝(1999)
vs Jerome Le Banner
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2回目の黄金時代は1回目と違いなんと9戦連続KO勝利。常に出て来る最強挑戦者をいつもの必殺技でねじ伏せてねじ伏せて、そして次のグランプリ。過去2度KO勝ちしているジェロム・レ・バンナがボクシング転向の後10kg以上パワーアップして帰って来ました。開幕戦ではアーツも4Rかかった不沈艦マット・スケルトンを1RでKOしてそのインパクトだけで、アーツvsバンナは準々決勝ながら「事実上の決勝戦」と言われ盛り上がり、気合十分のバンナと余裕たっぷりのアーツの入場で東京ドームの雰囲気は最高潮に。大歓声の中始まった試合、バンナが仕掛けのワンツー、そして次の入りに合わせてアーツがいきなりの右ハイ!膝をつきダウンしたバンナを見て会場は爆発したような状態。そして仕留めにいくアーツとしのぐバンナ、さらにハイを狙うアーツに回復を待つバンナ、そして両者がパンチを交錯した瞬間・・・当たったのはバンナの左でした。山が崩れるようにゆっくり倒れるアーツの姿に沸きあがる悲鳴と歓声。史上最大の逆転劇でアーツの時代はまた終わりました。
K-1 GRAND PRIX 2000 準々決勝(2000)
vs Cyril Abidi
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バンナに負けたもののすぐ勝ち続けて調子いいように見えていたアーツをまさかの1RKOで衝撃を与えたシリル・アビディが一気に注目を浴びたのが7月。当時ここまでの若手がアーツクラスに番狂わせを起こすことがなかったのでショックでした。その後8月に再戦するも背筋の怪我でアーツが棄権。12月に確か主催者推薦で決勝進出、その相手がアビディでした。この年2回も土をつけられたアビディに向かうアーツが激しくて久しぶりに見た喧嘩のような試合。効かされ効かせ、投げられたりバッティング受けたりで荒れながらなんとかリベンジ。しかしバッティングによるカットで次の準決勝を棄権することになります。
K-1 WORLD GP 2002 in 福岡(2002)
vs Alexey Ignashov
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怪我もあって本調子が出せない試合が続くアーツもこの時31歳。前年グランプリ準決勝まで行った若手ホープ24歳のアレクセイ・イグナショフとの初対決。アーツ2世と言われ勝ち続けるイグナショフと真っ向から同じムエタイスタイルで勝負。右ストレート、ヒザ、ハイキックに首相撲と得意技がほとんど同じ両者。組みが多く相手のバランスを崩して一撃、というようなレベル高い首相撲をお互い繰り出し好勝負でしたが徐々にイグナショフが圧倒。5R判定でアーツが敗北。かなりおもしろい試合だったと思うんですが石井館長は気に入らずK-1ルールにおいての首相撲の制限を強くし始めたきっかけになる試合だったと思います。
K-1 GRAND PRIX 2006 準決勝(2006)
vs Glaube Feitosa
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13年連続でグランプリ決勝進出を記録していたアーツがこの年は開幕戦を病気で欠場。途絶えたものの決勝リザーブマッチに出場、武蔵を1Rで圧倒的にKO。久しぶりに見る調子の良さで「決勝メンバー入ってたらなぁ~」と誰もが思ったその数分後・・・準決勝に上がる選手にドクターストップがかかりまさかの本戦進出。前年準優勝でKO連発全盛期にあったグラウベ・フェイトーザをパンチでねじ伏せ、1998年を思い出させるような勢いで決勝に進みました。決勝はセーム・シュルトの前に判定負けを喫してしまいますが、黄金時代の再来をまた期待できるような気がした、そういう日でした。
K-1 GRAND PRIX 2010 準決勝(2010)
vs Semmy Schilt
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ある程度良い調子で試合が続いていたものの、2007年グランプリ決勝で怪我、2008年は新鋭バダ・ハリに実力差を見せつけられるKO負けを喫して、年齢的な衰えが目立ち始め2009年は1997年に離脱したドージョー・チャクリキに戻るもグランプリ開幕戦で負けて決勝に行けず。さらに2010年100kg以下のタイトル挑戦のため減量して京太郎にまさかのKO負け。とことんまで負けを重ね完全に引退を皆が思い浮かべた頃、予想に反してグランプリ開幕戦を突破、決勝でもマイティ・モーを撃破し準決勝でまたもセーム・シュルトと対戦。ここで勢いを取り戻し攻めに攻めての判定勝利をもぎ取る。この時のアーツ復活を願う会場の一体感は記憶に残るものでした。決勝でアリスター・オーフレイムに敗れるものの、この頃からアーツは勝っても負けてもなんとなく「これが最後かもしれないけど見届けます!今までありがとう!」って言いたくなるようなレジェンドの雰囲気がありました。
2010年以降K-1の開催が厳しくなってGLORYやIGFに出場し現役を続けたアーツですが、アーツ自身を目標とした新しい選手が次々現れ勝ち負けを繰り返し、今年試合を予定してたものの怪我が回復せず引退を表明。wikipediaには2014年5月のデューウィー・クーパー(この人も長いな)戦が最後となってますが、10月大阪で見に行った白蓮会館とホーストが主催の大会であった6度目のアーネスト・ホースト戦が最後。結果的にラストマッチを生で見れたことになります。
“ダッチ・ランバージャック”、”20世紀最強の暴君”、”ミスターK-1″、常に豪快な攻撃で相手をなぎ倒してきたピーター・アーツこそ、自分にとって好きな格闘家の代表でした。今後はアマチュアの大会を開催したりホーストと同じように業界に貢献していくようです。